付利された当座預金は「マネタリーベース」に数えられるべきか

マネタリーベースとは、「日本銀行が供給する通貨」のことです。具体的には、市中に出回っているお金である流通現金(「日本銀行券発行高」+「貨幣流通高」)と「日銀当座預金」の合計値です。

http://www.boj.or.jp/type/exp/stat/exbase.htm


もちろん、そもそもこんなもの数えてどうするんだってのが、当ブログの立場なわけだが、しかし日銀のオイシイ資金調達と思えば、その気持ちはわからなくもない。とはいえ一方で、



と [twitter:@hongokucho] が指摘されるように、貨幣数量説を熱狂的に支持する方々が、単に「量的」緩和に着目する一方で、当座預金に利息が付くようになった現在では、その金利水準が引き上げられるとき、それは自然に考えれば「引き締め」だ。市中の金利には、そのとき上昇圧力が働く。


言い換えれば、付利された当座預金を含む「マネタリーベース」は、金融緩和の状況を(日銀のオイシイ資金調達を)表現する指標としては、何の役にも立たない。そう思うと、つい反射的に改善したくなってしまうではないか。で、完成した。5秒で考えたのだが、我ながらよくできたと思う。じゃーん、これが投資の消費性的「新マネタリーベース」である。


日銀券残高 + 当座預金残高 x (自然な金利 - 当座預金金利) / 自然な金利


見やすさのために硬貨は省略したが、日銀券の一部だと思って下さい。で、その気持ちを解説したい。簡単に言えばこうだ。当座預金に付利されないとき、第二項の当座預金残高の掛け目は"1"になり、そのままマネタリーベースとして数えられることになる。古典的な文脈で、よく用いられる定義だ。当座預金に「普通に」付利されるとき、第二項の当座預金残高の掛け目は"0"になり、マネタリーベースとしては数えられないことになる。つまり、普通に金利を払って調達して、普通に運用しても、それはオイシイとは言えないよねと。さらに金利を引き上げれば、掛け目はマイナス。引き締め方向だ。わざわざ苦しい資金調達をして、預けてくれた銀行に色をつけて返すのなら、そのことは当然ながら民間の資金調達を圧迫する。


さて、日銀のオイシイ資金調達の全体に「自然な金利」を掛け合わせることで、一年間に生み出される利益のようなものを表現することができるはずだ。書いてみよう。むしろこちらの方が、読みやすいかもしれない。


日銀券残高 x 自然な金利 + 当座預金残高 x (自然な金利 - 当座預金金利)


どうだろう、何か見えてきたろうか。日銀券の残高は、そのまま自然な金利を掛けることで、普通に調達すれば支払う「はず」だった*1利息の総額を表現する。そして当座預金の残高は、利息を付けて返した分だけ、そこから差し引かれることになる。実に直感的だ。


さて、この新マネタリーベースは、日銀券には利息が付かないことを暗に前提としている。そりゃそうだ。しかしながら、希望的にだが、何らかテクノロジーが進歩することによって、我々の一万円札にも利息を受け取れることになったとしよう。極薄のチップを紙幣に埋め込むことくらい、21世紀には容易だと思うのだが、そうなればもちろん、この定義だって書き換えざるを得ない。こんな感じだ。


日銀券残高 x (自然な金利 - 日銀券の金利) + 当座預金残高 x (自然な金利 - 当座預金金利)


お気づきかもしれない。この式こそが、まさに当ブログが到達したかった山頂のひとつである。日銀券にも当座預金にも、競争が自然な金利を要求するとき、両項ともがゼロに押し潰されてしまう。そのとき新マネタリーベースは存在しない。もはや日銀にオイシイ資金調達は存在せず、従って金融政策の原資は存在しない。言い換えれば、貸し手としての我々は、その分だけ利息を返されている状況でもある。需要と供給が一致する金利は、最も効率的に時間を配分する。


ところで「自然な金利」って一体何だと、思われるかもしれない。そこは敢えて誤魔化しつつ、こうして最後まで進んできたのだが、大雑把に言えば、日銀が余計なオペを全部諦めるとき、なるべく市場に影響を与えないように、必要な行動に際してはソロリソロリと気を遣うとき、実現しているはずの非実在短期金利*2のことだと考えていただきたい。もちろん、そんなもの誰にもわからないじゃないかと言われれば、そのとおりなのだが、しかしオペの現場で戦う日銀の連中は、きっと毎日、肌で感じてるさ。

*1:id:equilibrista:20090605:p2

*2:ないBOR