知る自由と動く自由

SECがゴールドマンを訴追した件で、沢山の記事を読んだのだが、ぶっちぎりに面白かったのは結局のところ、当のSECのComplaint*1だった。なんというか関係者の息づかいのようなものすら、そこから感じられる気がしたのだ。なので、えいと頑張って、全文訳してみようかと思ったものの、やっぱり面倒で早々と挫折しました。決して読みにくいものではないので、問題に関心のある方は、目を通されることを強くおすすめします。翻訳サイトの能力って、進化しているのでしょうか。


一方で、最も明瞭簡潔で、問題を俯瞰することができると思うのは、ゴールドマンによる反論*2だ。揉め事は当事者に聞くのが一番という至極当然の結論を、改めて噛み締めた次第。それらが簡単に閲覧できるインターネットって、本当に凄い。もちろん、その情報の流動性の高さが、こうして同時に、ゴールドマンを評判リスクを揺さぶる*3わけだ。時代は常に、より高い効率に向かって進んでいる。


さて、その中でも、どうしても心に残って離れない記述を、ピックアップしたい。2007年1月に、ポールソン社の従業員のひとりが、このように投資機会について述べていたそうだ。

"It is true that the market is not pricing the subprime RMBS wipeout scenario. In my opinion this situation is due to the fact that rating agencies, CDO managers and underwriters have all the incentives to keep the game going, while 'real money' investors have neither the analytical tools nor the institutional framework to take action before the losses that one could anticipate based on the 'news' available everywhere are actually realized."


サブプライムの暴落シナリオを、マーケットが織り込んでいないというのは真実だ。格付け会社CDOマネージャ、証券会社らが皆、祭りを続けることを望んでいるようにしか、私には思えない。そこら中に転がっている'news'は、大惨事が実現することを予感させているが、その前に'real money'投資家が回避行動を起こすための、状況を分析する道具も、また制度的枠組みも揃っていない。


ゴールドマンが反論するように、この後には、マーケットの全体が沈んでいった。つまり、当該商品がどんな類の住宅ローンを選んでいたとしても、いずれにせよ大きなリスクは実現していた。そういったシステム全体の歪みを生み出した構造を理解するヒントが、ここにあると思うからこそ、SECは引用したのだろうが、しかしゴールドマンを悪者にすることで解決する問題とは、到底思えない。


住宅ローンにも、もちろんビジネスの融資にも、返済されないリスクがある。プレミアムと引き換えに、そのリスクを負担したいと思う者を探して仲介するのが、金融ビジネスだ。当然のことながら、その仲介業者―ここではゴールドマンだ―に対して、理不尽な後出しジャンケンを当局や民意が押し付けるなら、リスクの負担市場そのものを圧迫してしまう。このことは、あらゆるチャレンジにとって、ビジネスを起こそうとする者や、住宅を買おうとする者にとって、そしてリスクを引き受けようとする投資家にとって、ちっとも素敵なことでない。


現場の最前線に居たポールソン社の従業員は、答えを既に持っていた。必要なのは、皆が状況を分析する道具を持ち、そのための情報にアクセスできることだ。そして行動を起こせるよう、制度的枠組みを整えることだ。どこで何が起きているのか、いつでも知ることができ、その情報を基にして、それぞれが自らの望む方向で、リスクを引き受けたり、また誰かに渡したりできることだ。


ボルカーは、証券会社の自己勘定部門が何をやっているのか、預金者や株主が理解できない状況を問題視したのだと、僕は理解している。だから潰せないほど大きくなるのだ。同感だ。twitterや勉強会でコミュニケーションのある識者の方々は、結局のところ納税者のリスクで郵貯簡保の運用が行われることを問題視している。だから潰せないほど大きくなるのだ。同感だ。どの金が、どんなリスクをとっているのか、すべて見える必要がある。そして望まないリスクを回避する自由と、望むリスクを引き受ける自由は、常に確保されている必要がある。それだけが、時代を更に進める道だ。