暗闇でドッキリ

クルーグマンも書いているが、トービン税は検討する価値があるように思う。そもそも評価性で主観に過ぎない「利益」に課税しようとするよりも、フローに課税する方が客観的でシンプルだろという第一印象に、その気持ちの一部は立脚している。中小零細企業が「これ経費」といって利益操作する不具合は、源泉税や損益通算にかかる不具合と本質的に同じものだ。あらゆる支出は消費か投資のどちらかだが、消費税があるように、投資税があってもいいのではないか。そんなふうにも感じられる。


考えてみると、金融ブローカーの安売り合戦によって、我々がお金を動かすコストは飛躍的に小さくなった。というか実際のところ、少なくとも身近な投資対象に関しては、ほとんどタダみたいな印象で嬉しい。の割に、お金をどう動かしてよいのか、我々は何を買うべきなのか、いまひとつわかりにくい。より具体的には、どんな投資先が、どんなリスクをとっているのか、とても見えにくい。この両者のアンバランスが、どうも気になる。例えば、銀行株の取引は、とても安くて簡単なのだが、しかし彼らがドバイのリスクをどのくばい抱えているのか、よく見えない。今や世界中がコンピュータで繋がっているのだから、ボタンひとつで詳細なバランスシートなり、詳細なリスクなり、何でも出てきてもよさそうにも思うのだが、Googleは未だ、その機能を実装していない。で、我々はどうするかといえば、一般に、周りを見る。キョロキョロ見る。誰か教えてくれないかなとか、有名なアノひとは何を買ってるとか売ってるとか、そういうところを見る。そして単に真似をする。


結果として起きる現象は当然、マグロの回遊だ。集団の向きを左右するのは、先頭付近のごく少数のマグロに過ぎない。皆が金を買っているとき、金が素敵な気がして、自分も買ってみる。みんなが原油を売っているとき、もう原油なんて要らない気がして、自分も売ってみる。つい最近だって、僕らはそのことを体感してきたじゃないか。そして一部のプロフェッショナルは、そんな阿呆なマグロ群を相手に、ボロ儲けしている。人々を翻弄するのは簡単だ。暗闇で周囲がよく見えていないとき、単に「右だ!」と叫べばよい。足元だけは軽快な隊列は、一斉に向きを変えるだろう。翻弄する技術論なら、他にも沢山ある。例えば、取引がタダであることを利用して、猛烈なキャッチボールを実演してビビらせてやるのも手だ。足軽の連中を相手に、ハリボテの見栄えを取り繕うプレゼンテーション手段は、取引コストの低減とともに多様になった。そう、どうも現状は、一部の暗視スコープを持った連中が、暗い草原を闇雲に走り回る民衆を翻弄しているように感じられるのだ。結果として、大切な足元の田畑は、踏みにじられてしまう。過剰に思われた原油価格も、過剰に思われた金価格も、過剰に思われた円高も、沢山の翻弄された現場を生んだ。我々は全体として、そんな構造の下にいたのではないか。


こんなとき、政府がとるべきアクションは、たったひとつしかない。強力なライトで、あちこちを照らすことだ。投資にかかるリスクを透明にするために、あらゆる情報開示を義務づけ、誰がどんなリスクをとっているのかを、誰にも見えるようにすることだ。一部には不評のIFRSだって、そんな理念に基づいているから素敵だと思う。もちろん、そういったライト政策を次々と実行に移し、世界の隅々まで実際に照らされるようになるまでには、どうしたって時間がかかるだろう。だから、そうなるまでの間、しばらくの間、暗中を闇雲に動くことに対して課税するのは、それほど筋が悪い話ではないように思うのだ。無邪気な人々は、足に錘をつけられることで、転んで怪我をする可能性が減るかもしれない。悪気のある連中が、民衆を翻弄する手段を、すこしだけ減らすことができるかもしれない。高頻度取引によって、出来高が必ずしも流動性を表現しない状況は、改善されるかもしれない。そのことで、足元の田畑でもって、もうすこし本来の仕事がしやすくなるのではないか。そんなふうに漠然と感じた。


とはいえマンキューが指摘するように、技術的には、実現への道のりは険しいだろう。課税は、世界中で一斉に実行するか、または鎖国するしか、実効的な手段はないと考えられるからだ。しかし、難しいからといって、取り組まない理由にはならない。未来に向けて議論をするのは、いつだって素敵なことだ。