すべての政府支出は外部性を抱えた投資であれ

事業仕分け」を見ていて感じたのは、あらゆる支出は、消費か投資のどちらかだという根っこの話なのだが、もちろん、投資性のある消費だとか、消費性のある投資だとか、そんなあいまいな支出だって沢山あるわけで、両者は常に明確に区分けできるものでもない。とはいえ、政府に消費されちゃ困る。なぜなら、それは納税者の金だからだ。金は常に、未来に向けて使ってほしい。


じゃ投資ならいいのかと聞かれるとき、そこにも無条件で肯くことはできそうにない。だって需要と供給が、知りうる限りの情報の下で互いに交差するとき、それを政府が取り扱わなければいけない理由が、ちっとも見つからないじゃないか。僕らは常に機会を探している。


ただ、世の中には、ちょっと難しい投資もある。将来に広く遍く、それが事前には把握できないほどあちこちに利益が及ぶような投資に対して、「事前には把握できないほどあちこち」から出資を受けることは難しい。需要と供給のかたちが、あまりシンプルでない投資は、放っておくと誰も実行しない。


そういった複雑さを背景に、たくさんの道路やダムがつくられてきた。何が無駄で、何が無駄でないかは、よくわからない。スーパーコンピュータが無駄なのかどうか、やっぱりよくわからない。誰にもわからないだろう。将来に素敵が訪れる投資としての政府支出について、そのリスクとプレミアムを理屈から考えようと思ったのだが、それ以前に見積もりが困難だった。