砂の城
ブラックに興味のある方がいるかもしれないとか、そういうことでは全然なくて、単に自分が嬉しくて先日の紹介記事*1を書いたのだが、思わぬ反応をいただいて驚き。で、また少しだけ引用してみようと。本当は古めの論文の方が、あまりにも先鋭的過ぎず(それでも十分先鋭的だが)わかりやすいのだが、今日はホットなこちら*2のイントロから。あらゆるリスク投資の均衡価格を表現するのがCAPMだが、もうひとつの支出であるところの、消費の価格を含んだ一般均衡の体系に内包される形でこれを考えるとき、未来とその不確実さの概念を持った彼の経済学が完成する。
When we want a single unified theory of almost everything, I like the general equilibrium model. I feel it is consistent with most of what we see in the world: both labor markets and the markets for goods and services; both general and specific aspects of the economy; and both short-run variability and long-run growth. Many people seem to feel, however, that the model is not general enough to explain what they see in the world. They create lots of models inconsistent with general equilibrium.
ほとんどあらゆる物事を記述する、たったひとつの統一的な理論を組み立てようと思ったとき、私はワルラスの一般均衡モデル*3が好きだ。私たちが普段目にする、ほとんどあらゆる物事、例えば労働市場と物やサービスの市場、一般的な経済と特定の細かな経済、短期的な変化と長期的な成長について、よく表現しているように思われる。しかしながら、これでは物事を説明するのに不十分だと、多くの人々は感じるようだ。彼らは、一般均衡と矛盾する沢山の細かなモデルをつくろうと企てる。
Those who do use models consistent with general equilibrium add assumptions that make their models much more specific. They may still aim for models general enough to explain many things, but they speak of "identifying restrictions", or restrictions that make it possible to "reject" the models by looking at conventional economic data. I like creating more specific models, too, but only when I have strong economic reasons for the restrictions I add. I think about adding investment, cost of operating markets, private information, and continued trading as time unfolds.
一般均衡と矛盾しないモデルを考えようとする者も、より細かに物事を特定するような仮定を付け加えようとする。彼らも、もちろん多くの物事を説明する十分に一般的なモデルを目指しているはずだが、しかし制約を見つけようとしたり、そこらの経済データと見比べて、それらを棄却しようとしたりする。もちろん私も、より細かに物事を特定するモデルをつくりたいと思う。しかしながら、それは強い経済的理由のあるときに限る。例えば投資や、市場を運営するコスト、プライベートな情報、そして時間軸に沿った取引といった事柄だ。
For example, I have created a version of the model including money, banks, central banks, and open market operations (Black (1987))*4. I argue that this model can explain observed business cycles, even though monetary policy must be largely passive. I am unable to find a version of the model that allows a significant role for effective monetary policy. More generally, I like creating many "examples," which are very simple versions of the general equilibrium model, each designed to explain a single stylized fact. I would not dream of "testing" an example on a broad sample of data, since I know in advance that we can reject it if we look hard enough.
私は以前に、貨幣、銀行、中央銀行、公開市場操作を含んだモデルを考えた。このモデルは、金融政策は多かれ少なかれパッシブに行われざるを得ないと結論づけるにもかかわらず、景気循環をよく説明する。金融政策が大きな効果を持ち、何らかの役割を果たすようなモデルは、結局つくり出すことが出来なかった。より一般的に言えば、私は、たくさんの「例」をつくることが好きだ。よくある事実を上手に説明する、シンプルなバージョンの一般均衡モデルのことだ。膨大な量のサンプルデータをテストしようなどとは思わない。より細かく厳しく見れば、いずれモデルは棄却されざるを得ないことなど、あらかじめわかりきっているからだ。
Many of the models in the literature are not general equilibrium in my sense. Of those that are, most are intermediate in scope: broader than examples, but much narrower than the full general equilibrium model. They are narrower, not for carefully-spelled-out economic reasons, but for reasons of convenience. I don't know what to do with models like that, especially when the designer says he imposed restrictions to simplify the model or to make it more likely that conventional data will lead us to reject it. The full general equilibrium model is about as simple as a model can be: we need only a few equations to describe it, and each is easy to understand. The restrictions usually strike me as extreme. When we reject a restricted version of the general equilibrium model, we are not rejecting the general equilibrium model itself. So why bother "testing" the restricted version? If we reject it, we will just create another version.
多くのモデルは、私の考えるところの一般均衡とは異なっている。それらの大半は、例示よりも一般的で、しかし本当の一般均衡よりも限定的な、単に半端なものだ。注意深く考えられた経済的な意味において物事を限定するのでなく、単に利便性のために限定する。シンプルなモデルにするために制約を挿入したとか、データと見比べて制約を棄却云々とかと、そんなふうに主張する類のモデル群をどう取り扱ってよいか、私にはよくわからない。本当の一般均衡モデルは、限りなくシンプルなものだ。ほんのいくつかの方程式によって記述され、それぞれが容易に理解される。細かな制約の多くは、私には極端に感じられることが多い。制約されたバージョンの一般均衡モデルを棄却するとき、我々は一般均衡モデルそのものを棄却していない。ならばどうして、「テスト」にこだわる?棄却して、また別のバージョンをつくることの繰り返しだ。
このイントロから暗示されるように、彼の目指すところは極めてシンプルで、かつ一般的な世界観だ。その美しさは、後々多くの、時に直感的でない事実を示唆する力として表現され、僕らをノックアウトする圧倒的な説得力を持つのだが、焦らず徐々に書いていこうと思う。このコンセプトにシビれたのなら、RBCだとかDSGEだとか、極めて精巧に組み上げられたように見える砂の城を振り回す立派なケーザイ学者の方々に出会ったときは、こう言ってやろう。
「なんか決めつけっぽくないスかね」
対案を出せなどと言うだろうが、我々が批判しているのは土俵そのものだ。心理学だとか複雑系だとか、その同じ口で外からの借り物へと突然飛躍しようとする前に、CAPMと一般均衡が、我々が世界を覗く眼鏡を驚くほど磨くことを、ブラックはこの亡くなる直前の力作で、実演を交えながら教えてくれる。
*1:id:equilibrista:20091026
*2: Exploring General Equilibrium (The MIT Press)
*3:
*4: Business Cycles and Equilibrium