国債はいつ売られるのか

「国が払えばいい」「国が払うべきだ」なんて言うけど、お金がどこからか湧いて出てくるなんて都合のいいことはない。何度でも言うが、打ち出の小槌は存在しない。そういう文脈で、お金を払っているのは他人でなく、結局のところ納税者たる我々自身である。


最近あちこちで指摘される*1ように、日本の国債の発行残高は、つまり借金の額は、税収の割に大きい。なので、「本当に返せるのか?」とか、「子供や孫に余計に働かせるってのか!」などと突っ込みを入れる人々がいる。一方で、借金も多いけど貯金も、つまり資産も多いので大丈夫だという反論もある。最大の問題は、資産や負債が実際にいくらあるのか、よくわからない*2ことだと思うのだが、どこからともなく「埋蔵金」が出てきたり、そのうち払わなきゃいけないはずの支出が勘定されていなかったりするのは、ひどい。企業会計よりも国の方が、ずっとひどい。蛇足だが、なのでIFRS*3は、まず日本国からその適用を始めてはどうか。資産や負債が実際にいくらあるのか、よくわからないとき、国債を評価しにくくなってしまう。普通のことだ。借金や貯金が実際にいくらあるのか、よくわからないひとにお金を貸すとき、我々はより慎重にならざるを得ない。


さっさと本題に入ろう。国債が売られるとヤバい。皆が「国債なんて要らない」といって、押しつけ合いになるとヤバい。いろんな意味でヤバい。なぜか。それは国に「お前はもう借金するな」と言っていることになるが、そのとき同時に、我々も大変借金がしにくくなってしまう。じゃ国債はいつ売られるのか。


国債とは何か。そういうのは、普通は契約書に書いてある。とりあえず簡単に理解するためには、財務省の出しているQ&A*4で十分だ。要するに国債とは、事前に金利を決めた借金のことだ。ここでポイントはふたつあって、そのうちひとつは破綻。借金は、万が一にも国が破綻するときには、ちゃんと返されない可能性がある。もうひとつは金利。事前に金利を決めてしまうので、その後に市中金利に変化があっても、そのことは契約に影響を与えない。言い換えれば、金利が変わってしまえば、契約そのものの価値が変わってしまう。つまり国債の価格は、時間の価格としての金利と、政府の信用リスクの、2つのコンポーネントから成り立っている。


こう書くと、なるほど、じゃそいつらを厳密に測ればいいのねと、そうすれば国債を評価できるのねと、思うかもしれない。どっこい、世界はそうは出来ていない。国債の価格を実際に決めるのは、需給なのだ。需給と言うと水物みたいだが、それぞれの要素に対する市場参加者の評価(もちろん時間の関数だ)のことである。時間の価格が安い不況下で国債が売られることは、政府の信用リスクの増大を意味する。これはマズい。市場参加者が政府を信頼していないのだ。いわんやそれに左右される私企業など、信頼を得られるはずもない。そんな状況下では、あらゆる資金の調達コストは高く、我々の商売は厳しい状況に立たされることになる。労働者の賃金だって下がるだろう。


じゃ今国債が売られていないことは、政府が信用されていると捉えてよいのだろうか。どっこい、それも微妙だ。国債を売るか買うかは、疑う気持ちと常に正比例しているわけではない。格好よく言うなら、その関係は非線形だ。つまり我々の日常にある信用と同じだ。それまで立派だったひとが、ちょっとくらい変な行動をとったからといって、いきなり怪しい奴扱いはしない。「そう?あのひとちゃんとしてるよ」で終わりだ。築き上げてきた信用、プライスレス。ところが何度も繰り返すうち、彼が来るたびお釣りの金額やら在庫の数がおかしいと皆が気づくとき、信頼は突如として失われる。あれ。あれ?どうして?あれえええええ?という感じだ。


国債価格の下落も、似たようにして起きる。相当に意識と行動の速い連中が、まず先回りして売る。ほんのちょっとだけ価格が下がる。これ。ここがシグナル。自分が持っている国債の価格が下がる。損が出る。このあたりで皆気づくのだ。「奴が、なんかおかしい!」と。こうなったら危険だ。国債を沢山所有している生保や年金だって、契約者のお金をそれ以上減らすわけにはいかない。我先に、国債なんて売ったもの勝ちの状況が訪れるだろう。書いてて、気分が暗くなってきた。これは、そのくらいマズいことだ。だって、そうやって国債売り合戦になったら、僕だって金を借りれない。少なくとも、えらく高い金利を要求される。その分商売が回ればいいが、皆が疑心暗鬼になって不安定な世の中じゃ、そんな希望も難しそうだ。これが信用喪失スパイラルである。


何がいいたいかといえば、だから国はちゃんと情報公開しろとか、無駄な借金するなとか、そういう非常にベーシックなことだ。信用の意味なんて、我々の日常生活と変わろうはずもない。国は、愚かな我々が集まって支えている箱に過ぎない。高利の借金に総量規制が必要だってのなら、国の借金にだって総量規制した方がいいのは自明だろう。