金融機関への規制と酒飲みのプライド

金融機関だろうが事業会社だろうが、年金だろうが大学だろうが、そのリスクを評価しようと思ったら、最終的にはベータに帰着せざるを得ない*1という話をしようかなと。


BIS総裁会議が規制強化で合意、資本基準などで新ルール | Reuters
http://jp.reuters.com/article/financialCrisis/idJPJAPAN-11370320090906


例えば、どうしようかな、大豆を主に取り扱う商社に金を貸すとき、その融資にかかるリスクは、大豆ビジネスの動向に依存するわけです。誰も大豆を食べなきゃ、その商売は上手くいかず、きちんと返済されない可能性は高まる。大豆ブームが訪れるとき、商売はどんどん前に転がって、融資も進む。どうも融資のリスクが大豆に連動し過ぎてると、ちょっとその向きを変えようと、やや強引な例だけれども、このとき同時に大豆の先物を売っておくことを考えたとする。こうすれば、大豆需要が沈んで返済不履行のリスクが高まっても、先物の売りから利益が出る。つまり、この融資にかかる大豆価格そのものによるリスクは低減される。


このとき世のリスク基準は、大抵馬鹿げた評価をする。大豆動向に関してセットで考えている融資と先物の売りをバラバラに評価し、単に足し算してしまったり、また似たような内容のヘッジ行動でも、手法を変えるだけで大きく評価が違ったりするのだ。もちろんその原資産が、大豆だろうが住宅だろうが、株式だろうが金利だろうが、同じことだ。


この文脈なら、融資のロングと先物のショートが、それぞれにどんな類のリスクなのか、そして差分として残る大豆ビジネスと融資ビジネスが、金融機関が意図的にとっている第一のリスクになるということが、預金者や投資家にとって最も重要な情報だ。自己資本比率なんてものは、株主が負っているリスクの濃縮度合いを部分的に示しているに過ぎないし、現金を余計に持っておけなんてルールは、水割りだけ飲んでいろと言っているに等しい。要するに酒飲みを馬鹿にしている話だ。


銀行には好きにさせればよい。必要なのは、彼らがどんなリスクをとっているのかを、なるべく細かく開示させることだ。それらがどんなふうに互いに関連しているか、また世界の全体と関連しているかは、預金者や投資家が勝手に評価する。どのくらい水で割るかは、カウンターのこちら側でも決められるのだ。なんなら信頼できるバーテンダー*2に相談してもいい。我々は、単に口を開けて待っている北京ダックじゃない。

*1:id:equilibrista:20090218:p1

*2:評価会社のことだが