なぜ「出口戦略」が必要か

ここに書く記事について、どうやら普段自転車に乗っている時間に考えていたようで、盗まれてしまって一時的に電車移動になったら、ちっとも前に進まない。で、風呂に入っている時間に考えることにしてみたのだが、どうもまだ違和感が残っている。実に困ったので、早く次の相方を探そうと思う。

出口戦略とは何か

さて、黙って「出口戦略」と言っても、世の中の出口の数だけ、つまり莫大な数の戦略が存在するのだろうが、ここで考えたいのはもちろん中央銀行の、不景気だからといってバリバリと金融緩和している状況を脱する意味での出口戦略である。

で、馬鹿みたいに一行で終わるのだが、出口戦略とは、要するに金利を上げることだ。もちろん細かく言えば、「非伝統的」などと称してリスク資産を買ってた資金を引き上げたりするアクションも含まれるわけだが、部分にこだわって全体を見失ってはいけない。なんとかフェチも結構だが、相手は人間であることを理解しよう。何の話かわからないが、要するに大きなところから考えることが肝要だ。

出ないと何が起きるのか

金利は低い方がいいだとか、高いほうがいいだとか、今は低くなきゃ駄目だとか、高けりゃ年寄りがもっと消費するだとか、そのあるべき水準の話ともなれば、誰もが一端の評論家になる床屋のトピックが金利である。割と似たところに為替があって、こちらも、70円時代が到来してもおかしくないだとか、「ファンダメンタルズ」から言えば120円程度が妥当だとか、いつかは500円を突破する日が到来するとか、安酒の肴としては悪くない。

とはいえ、為替が需給で決まるように、そもそも金利は、需要と供給で決まるものだ。いついかなるときも。21世紀に生きて、リスク資産を含む人生のバランスシートを設計せんとする我々は、このことを常に忘れないでおきたい。一般に、短期金利中央銀行が決定すると言われているのは、彼らが市場に介入する強い力を持っているという意味に過ぎない。

で、この文脈で言うところの「出ていない」間は、需給で決まる水準よりも低い金利で、貸し出しが行われている(はずだ)と考えてよい。もちろんその歪みは、中央銀行による介入によって生み出されている。このとき資金を借りる方(もちろん投機家が混ざっている)には利益が出やすいので、じゃんじゃん借りてあちこちに投資するインセンティブを生み出し、結果として世界中に「バブル」を生み出しやすい。

それから、見逃されがちな事実だが、または当事者は隠そうとしているのかもしれないが、この歪みによって貸す方は一般に損をしている。気をつけなければならないのは、ここでの貸し手には中央銀行だけでなく、すべての預金者が含まれていることだ。なぜなら、すべての金利は無リスクの短期金利を含んでいる。もっと言えば、もちろん中央銀行はすべからく公僕であるからして、損失を出しているのは、要するに預金者と国民である。

どこに入っていたのか

そもそも中央銀行が人為的に金利を操作すると、何かよいことがあるのだろうか。例えば市場は時折、制度的にも心理的にも、パニックに陥りがちだ。そんなとき常に冷静かつ的確な判断ができるのなら、中央銀行が、世界の全体をよい方向に導くことができるかもしれない。もちろん民間の投資家であれ、そんなとき常に冷静かつ的確な判断ができるのなら、成功を収めることができるはずだ。ところが経験が示しているのは、我々は自分達が考えているほど、その意味での成功を手にしていないということだ。アクティブなファンドマネージャーの成績を、無作為に参照してみればよい。その道のプロフェッショナルが残す実際の成績は、せいぜい五分五分がいいところだ。そして、その割に連中の給料は高い。つまりコストはかかっている。

出口戦略をいつ実行に移すべきか、政局や衆愚に惑わされることなく、判断する方法がある。自動的に出入りする方法がある。それは中央銀行はパッシブに、金利の水準を本当に需給に任せることだ。借りたい人やその金額が大きくなったときに金利が高くなる自動調整メカニズムは、誰もが知りたい情報を入手できて、よく考えるチャンスがあるとき、妙な会計基準に行動を左右されることがないとき、相対的には上手に働くだろう。最高とは言い難いかもしれないが、しかし他方で、これよりもマシな方法を見つけることも難しい。

ちなみに、金利は「需給ギャップ」とインフレで決まるべきだという「テイラールール」は、ファンダメンタルズの一表現に過ぎない。要するに、株価は純資産と利益で決まるべきだという議論に似ている。それらの構成要素はすべて本質的に評価性で、「適正な水準」は人の数だけ存在する。その総意を表現するのが、市場価格なのだ。