雇用の短期化は将来への備えを要求する

雇用契約が終身のとき、賃金はどのように決まるだろうか。おそらく、彼が一生をかけて生み出す利益の現在価値を、分割で払う形になるのだろう。分割の払い方は自由だ。均等でもよいし、年齢に応じて昇給させてもよい。


雇用契約が5年のとき、賃金はどのように決まるだろうか。おそらく、彼が5年かけて生み出す利益の現在価値を、分割で払う形になるのだろう。分割の払い方は自由だ。均等でもよいし、毎年昇給させてもよい。


雇用契約が1年のとき、賃金はどのように決まるだろうか。おそらく、彼が1年かけて生み出す利益の現在価値を、分割で払う形になるのだろう。分割の払い方は自由だ。均等でもよいし、毎月昇給させてもよい。


雇用契約が1月のとき、賃金はどのように決まるだろうか。おそらく、彼が1月かけて生み出す利益を払うのだろう。


要するに契約期間が短いほど、単位時間あたりの賃金は、彼が生み出す価値そのものに近づけざるを得ない。分割の払い方を、工夫する自由が減ってしまう。そのこと自体はもちろん、いいとか悪いとか、そういうことではない。とはいえ「年齢に応じて昇給」する慣習から、「同一労働同一賃金」へと社会全体に変化が起きるのだとすれば、毎日の生活や将来への備えについて、一生の時間軸に沿って、よく考える必要が新たに発生するだろう。