最低賃金と失業率、そして効用と尊厳

最低賃金で働く労働者にとって、その水準が引き上げられれば給料が増えて嬉しいかもしれないが、失業してしまうリスクも増えるだろう。馬鹿みたいな例だが、企業が人件費として100円で2人分なら出せると考えているとき、最低賃金が200円になれば1人しか雇用できない。


もちろん実際には様々な要素が絡み合って、出せる金額が一定などという単純な話ではないわけだが、仮に賃金上昇(100円→200円)と就業率(2人→1人)の積が不変だとしても、労働者の効用はそのことによって劇的に変化する。普通に考えれば誰でもわかることだが、失業は嫌だ。とても嫌だ。その嫌さは、ちょっとくらい賃金が上がったからといって中和されない。生活保護があるじゃないかと言われても、仕事と一緒に失われる尊厳の大きさは無限だ。だって、生きるとはつくることだ。


また別の観点から見れば、最低賃金の引き上げは、投資単位の引き上げに似ている。小さな投資家にとってこれは切実な話で、一単位買うのと二単位買うのでは、投資の姿は全然違うものになってしまう。同じように零細企業にとってこれは切実な話で、一人雇うのと二人雇うのでは、商売の姿は全然違うものになってしまう。要するに、単位が大きいとすごく不便だ。


労働に対して適切な対価を担保するためにできることは、最低賃金水準の上昇よりも他にいくらでもあるはずだ。例えば、労働内容と賃金の透明性を増すことや、労働者が会社と契約する際の交渉を助けることなど、要するに一般的な契約にかかる利便性の向上と考えるべきは同じである。


社会システムの最適化に際して、ほとんどの制約条件は単に効率を下げる。最低賃金制約だって、もちろん例外ではない。