お金の代わりに支払い手段としてETFを使う世界を想像してみる

お札や硬貨の代わりに携帯電話だとか、そんな生易しい話じゃなくて、もうお金そのものが存在しないという、すこしタフな状況を考えてみたい。だからといって突然、物々交換だけが僕らの唯一の支払いの手段にはならない。お金がなくたって例えば、会社の所有権としての株式は存在できるはずだからだ。そんなとき、ETFを支払い手段として位置づけるのも悪くないかもしれない。給料はETFで支払われ、スーパーで買い物したときにはETFで支払う。そんなエクイティな世界だ。想像してみよう。


「今年のボーナスは、不況の影響で50万ETFになっちゃったよ」
「あら困るわ、20万ETFで新しいエアコン買おうって言ってたじゃない」


エレクトリックでテクノロジーな時代に生きる我々にとって、こんな世界を実現するのは容易い。給料が出たり、買い物をするその度に、あたかもデイトレーダーが売買するように、ピコっと取引すればよいだけだ。資金を調達する側にとっては朗報だろう。とにかく皆リスクをとりまくることが、制度によって保証されているわけで、いまと比べて株価はずっと高いに違いない。いやもちろんお金がないのだから、そもそも「株価」なんてものが、あやふやなんだけどさ。すべてが相対的だ。


そうやって世界がETFのみによって回転するときでも、もちろん株式にはリスクとプレミアムがあるだろう。その価値は常に消費と対比され、すべての人々による評価は時々刻々と変化し、相対的に大きくなったり小さくなったりする。


ちょっとだけ不便なのは、この構造の中では、労働の対価を得たとき、その分を消費するかリスクをとるか、どちらかを必ず選ばなければならないことだ。購買力を貯めておきたいけど、リスクはとりたくないという気持ちを、実現する手段がない。


いまの僕らの世界にアタマを戻して、すこし考えてみると明らかなことだが、日銀がETFを買うとは、つまりこういうことだ。実質的に同じことだ。だから僕には、信用緩和なる非伝統的な金融政策が、あまり素敵とは思えない。