銀行券ルールが表現するもの

すごく簡単な話とも思えないので、ある程度仕方ないとは思うのだが、「銀行券ルール」に対する誤解は多く、その素敵さが一般に理解されないことは残念に思う。


通貨信認の本質とは? 合理性欠く日銀「ルール」 JBpress(日本ビジネスプレス)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/956


はじめに断っておくが、日銀不要説*1すら唱えている僕は、もちろん日銀関係者ではない。そんな立場から見ても「銀行券ルール」は合理的で、また示唆的でもある。うーむ、どこからいこうかな。まず関係者すら、しばしば誤解している点からはじめよう。

日銀バランスシート上の長期負債である銀行券に対し、長期資産として長期国債を持つのは自然な対応。


銀行券は長期の負債ではなく、超短期の負債である。理屈は簡単で、こいつは金利にまったく感応しない。デュレーションはゼロだからだ。長期の負債とは、つまり長期間返さなくてもよい借金のことだ*2が、銀行券の持つ性質は全く違う。いついかなるときも常に、その負債は返却されなければならないのだ。試しに日銀券を銀行に持っていってみればよい。ちっとも渋らずに、すぐに受け入れてくれる。


なんでそんな金利もつかないような超短期な資産を、我々が持ち歩いているかといえば、それが便利だからだ。普通は、使いたい分だけ財布に入れておいて、不要な分は銀行へ預けておく。多額を持ち歩くのは不安だし、超低金利だったとしてもゼロよりはマシである。流通している銀行券の量は、こうして我々のニーズが決めている。言い換えれば、我々の便利のために必要な分だけ札を発行するのが日銀の仕事だ。


銀行券ルールのひとつの肝はここにある。その発行残高は、日銀でも政府でもなく、我々が決めているという事実だ。そして我々が欲する分だけ日銀が札を発行したとき、対応する資産が備えるべき性質はたったひとつ、何よりも安全であることだ。だから日銀は国債を買う。もちろん既にお気づきのとおり、なので本来それは短期の国債であるのが自然な姿だ。金利なんか小さくてもいい、だって札には金利払わないもの。要するに、長期の国債を買っている時点で、既に財政ファイナンス*3なのである。


あれ?銀行券ルールを持ち上げるはずが、ツッコミになっちゃった。あは。


まいいや、ともかくそういうことだ。日銀の仕事なんてものは、常に消極的でよい。世の中や経済に、札を刷るだけの彼らがよい影響を与えることなど、本質的に不可能*4なのである。それを明示的に表現しているのが、「銀行券ルール」であると思うと、実に味わい深い。自らの無力を示威する決め事、まさに武士道。


とはいえJBpressさん、新しいメディアの香りは素晴らしいと思う。よろしければ、仕事下さい。はい、本音出たー。

*1:id:equilibrista:20090408

*2:馬鹿みたいに当たり前だ。

*3:id:equilibrista:20090412

*4:悪い影響を与えることは可能だ。めちゃくちゃをすればよい。