永久機関と金融政策

人類が永久機関を追い求めた歴史は、ちょっと調べてみただけでも大変に面白いのだが、「打ち出の小槌」としての金融政策と対比して考えてみると、さらにエキサイティングだ。


効率的な社会では、需要と供給が均衡する水準よりも、さらに金利を引き下げようと思えば、中央銀行は損失を出さざるを得ない。その低い金利で大量に貸し出すためには、どこかでより高い金利を払って資金を調達する必要があるからだ。


もちろん現在の実際としては、そのような状況にはない。中央銀行の負債の多くは、依然として無利息の調達による、つまり貨幣だ。とはいえ、我々はいずれ貨幣を避けるようになるだろう。利息はあった方が嬉しいし、電子マネーに付利するのは実際のところ簡単だからだ。


永久機関を装ったあらゆるシステムが、実は単に、時間や場所を跨いでエネルギーを交換しているに過ぎないように、あらゆる金融政策はそのとき、実は単に、時間や場所を跨いで利益を交換しているに過ぎない。「打ち出の小槌は存在しない」ことが、いまよりも見えやすくなるだろう。