「らしいよ」情報の流動性

金が買われてるらしいよ。
供給側の鉱山も、実はひっ迫してるらしいよ
不況で銀行みんなヤバイらしいよ。
ばななダイエット効くらしいよ。


ぜーんぶ「らしいよ」情報だが、インターネットの爆発によって増えたのは、ほとんどがこの手だという気がしてならない。いや実は、ネタが増えているというよりも、単にコピペが溢れかえることによって、あらゆるところに「らしいよ」情報バブルが形成されていると考える方が、適切かもしれない。


ともあれ、世の中の「らしいよ」情報の流動性は今日著しく高まっており、我々はそのことに振り回されているというのが実感だ。サブプライム住宅ローンだって、信用リスクのスワップだって、ぶっちゃけた話ぜーんぶ「らしいよ」情報が、「儲かるらしいよ」「イケてるらしいよ」でぷーと膨らませたものだ。


もちろん難しいのは、実は「らしいよ」情報とホントの情報は、本質的に区別がつかないことなのだが、議論が面倒になるので、今日はちょっとそこには踏み込みたくない。「真実は何か」と追求し過ぎて素敵なことは、僕の人生になかった。大雑把にいこうよ。ホントはホントだ。


とはいえコピペが溢れかえる構造は、ネタさえ転がっていれば、ホントの情報にだって適用されるはずだ。だから金融政策にも財政政策にも悲観的な僕が、政策として提言したいのは、ホントの情報を皆が知ることができやすいように、転がしやすいように、特に企業活動や市場の動向について、隠しゴトを減らさせることだ。


当事者の彼らはおそらく抵抗するだろう。情報公開は面倒くさくてコストがかかり、企業の体力を使ってしまうだとか、情報はビジネスの生命線であり、それを公開しコモディタイズすることは我々にとって死を意味するだとか、そんな感じだ。要は小理屈だ。セコい壁だ。


そんなものは全部ぶっとばせ。ホントの情報コピペが世に溢れかえるとき、皆がリスクを許容できるようになる。ビジネスと生活を支えられるようになる。人生を振り返れば、誰だって知っていることだ。信頼だけが、安心を生むのだ。