25世紀の中畑清

初めに明らかにしておくべきだったにもかかわらず、既に開始から一週間も過ぎてしまったのだが、遠い未来の社会システムにおいては、財政政策も、金融政策も、どちらも世の中の全体に与える影響は小さく、実際のところ効果はほとんどないと思うのが、当ブログの立場である。


そこでは政府も中央銀行も、図体こそデカいが、フィールドに立つプレイヤーのひとりに過ぎない。他のプレイヤー?もちろん我々のすべてである。で、政府や中央銀行がどんなに影響力を持っていたとしても、王監督イチローのそれよりも大きいと考えられるかといえば甚だ疑問だ。実際のところ、連中は中畑清*1くらいに考えておくのが、進歩的な経済人の立場としては適切なのではないか。


え、説明が足りない?
ええ、僕もそう思うので、もうすこし具体的に書いてみよう。


財政政策とは、要するに政府による支出のことだが、それが誰によるものであっても、すべての支出は、消費的なそれと投資的なそれに分けることができる。そして忘れてはいけないのは、政府の収入は税金であるということだ。


例えば政府がケチャップを買い占めるような消費的な支出は、要するに納税者からケチャップ業者に所得を移転しているに過ぎない。さらに政府がケチャップを買うことが事前にわかっているとき、自分がケチャップ業者になるなり、またその株を買うなりすることで、投機家は利益を得ることができてしまう。こんな策は百害あって一利なしであって、全体としてチームによい影響を与えるわけがないことには、誰にも同意してもらえると思う。


じゃ政府の投資的な支出はどうかといえば、例えば「ウヒョーこの道チョー便利!」てな道路を沢山つくることができたとき、そのことによって皆が利益を得て、それは社会にとって素敵なことだろう。しかしながら実態は、残念ながら我々のよく知るとおりである。そう、既に国土は不要な道で一杯だ。どうも一般に、投資のプレイヤーとしては、政府よりも民間の方が優れていると断定できそうな気はしないだろうか?


さて金融政策だが、こちらは中央銀行のアクションである。政府の仕事に比べてややわかりにくいが、中央だろうと何だろうと要するに銀行なので、借りてきたお金を貸し出すわけだ。お札を発行*2したり、他の銀行から預金を集めたりして金を借り、それを政府に貸したり*3、場合によっては民間にも金を貸している。


このとき、他のプレイヤーの心の中にある金利とは違う金利で、金を貸したり借りたりするのが金融政策である。皆が楽観的なときに、「そんなんじゃ貸せねーよ」と高金利冷や水をぶっかけたり、皆が悲観的なときに、「俺に任せとけ」と低金利のハッパを飛ばしたりするのだ。そう考えると、こいつはモロに中畑である。


とはいえ冷や水やハッパの出動には、それなりにエネルギーが必要である。投機家はどこにでも潜んでいて、清の提示する金利が安いと思えば借りまくり*4、高いと思えば預けまくることで、その体力を消耗させてしまう。そう、百戦錬磨のプレイヤーが集まる中で、自分だけがタイミングを制することは、誰にとっても難しい。


もちろん現代の実際においては、コマケー事情がわんさかあって、必ずしもこのようにシンプルに物事が動作しない場面も多々ある。とはいえ遠い未来には、おそらく25世紀には、僕らは今よりもずっと効率的な社会に生きているだろう。そして、そのとき政府や中央銀行が果たす役割は、とても小さいはずだ。


WBC優勝チームに対して、「諸君は素晴らしい」と王監督は称えたが、すべてのプレイヤーの活躍なくしてチームの繁栄はない。当然のことだ。僕らが野球から学べることは、まだまだ数多い。

*1:誤解してもらっては困るのだが、僕は彼のファンである。自らを鼓舞することでパフォーマンスを向上させる力は、古今東西を問わず常に美しい。

*2:つまり債券みたいなものだ

*3:国債を買うのだ

*4:実際のところ、これでバブルが発生した