風車に挑むドンキホーテ

【挨拶】原田審議委員「わが国の経済・物価情勢と金融政策」(石川)
http://www.boj.or.jp/announcements/press/koen_2018/ko180704a.htm/

さらに、金融緩和政策の手段そのものを否定しようという心理もあるように思います。大胆な金融緩和は危険であり、そのような手段を取るべきではないというのです。人間は、太古からこのような感情をいだいていたのかもしれません。神話は、神に挑戦した人間たちの悲劇を繰り返し描いています。バベルの塔、太陽に近づいたイカロス、土で作られ、命を与えられたゴーレムが破滅を導いた神話です。QQEに反対する人々は、QQEも神の領域を侵すものだと言いたいのかもしれません。


当ブログが否定するのは金融政策そのものであって、その手段ではないという細かな話は置いておいても、その小細工ハッタリ政策は、いずれ神の見えざる手によって、その代理人としての投機屋によって、解体される運命にある*1と繰り返し述べてきた。

また、歌舞伎の雷神不動北山桜には、朝廷が、邪悪な心を持った早雲王子を皇位から遠ざけるため、鳴神上人に寺院建立を約束に、本来は女子として生まれるはずの子を超人的な力―変成男子の行法―により世継ぎの皇子として誕生させたという話があります。ところが、朝廷は、上人は自然の摂理を侵したとして、寺院建立の約束を反故にしてしまいます。しかし、QQEは自然の摂理を侵すような方策でしょうか。


つまり自然の摂理を侵すというよりも、どちらかといえば風車に挑むドンキホーテ*2だ。

ローマに税金を払うべきか否かを問われたイエスは、銀貨に皇帝の肖像が彫られていることを人々に確認させた後に、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返せ」と言われました。貨幣に関わる金融政策は、神のものではなく人間のもの((

))です。人間のものであれば、理論と事実に基づく議論を避けるべきではありません。


理論と事実に基づく議論、いつでもかかってきなよ。前にも指摘した*3とおり、あんた支離滅裂だぜ。