日銀がデフォルトする日

貨幣の負債性について、いつものことだが、すこし具体的に書いてみたい。文脈によって「内生的」供給と呼ばれたり、あるいは「還流」すると言われる理屈を支えるのは、結局のところ、そいつは中銀(あるいは政府)の借金だという立場である。もちろん借金の大きさ自体は、我々自身のそれと同じく、経済の活動に直接的には影響を与えない一方で、純資産(負債)の大きさ、あるいは信用は、我々自身のそれと同じく、経済の活動を制約することになる。


最も極端に、印刷された紙幣をヘリコプターでバラ撒く「景気対策」を想定しよう。もちろん実際にヘリコプターを使えば、拾い手の間に不公平があったり、あるいは川や海に落ちてしまったり、不具合も多いだろうが、最もわかりやすい例ですら、物事が思い通りには運ばないことを確認することは大切だ。さて、飛んできた紙幣を拾った我々は、どんな行動を起こすだろうか。金額にも依るだろうが、多ければ多いほど、すぐに酒を呑んでしまったりせず、銀行に預けにいくだろう。まず手元に抱えておくのは不安だし、投資するにせよ借金を返すにせよ、いずれにせよ銀行経由になるからだ。


さて市中の銀行は、僕らが持ち込んだ紙幣を受け取り、その額面分だけ僕らの預金の残高を増やす。もちろん、いつでも好きなときに引き出されてしまう預金は銀行にとって負債だが、受け取った紙幣を日銀に持ち込むことで、その分だけ資産として日銀への預金が増えるわけだ。チャラ。そして再び日銀に戻ろう。市中の銀行からの預金は、いつでも好きなときに引き出されてしまう。返してくれと言われてしまうのだ。


返済1) このとき日銀が、手持ちの国債を渡すことで返済すると思おう。当然のことながら、日銀の財務は厳しくなってしまう。特に何もしていないのに、いきなり資産が減ってしまうからだ。もっと言えば、紙幣を印刷してバラ撒いた時点で、負債が増えていたと思う方が自然だ。この「政策」を実際に日銀が実行しないのは、FRBもECBもBOEも、そして僕らも誰も、実行しないのは、こうした理由による。


返済2) 紙幣を印刷して渡せばいいじゃないかって?オーケーそのとおりだ、手形を切れば大丈夫。なわけないじゃないか。その手形が、つまり紙幣が、持っている資産に比べて大きくなるほど、日銀の信用は損なわれる。その財務を疑い、手形を割り引かざるを得ない。言うまでもないことだが、紙幣を印刷して何か資産を買ってきたとしても、先の理屈から、同額の負債がバランスシートにゲタを履かせるのみで、ちっとも純資産を増やさない(純負債を減らさない)点には留意されたい。


こうして日銀がデフォルトに近づくとき、より正確に言えば、紙幣が割り引かれる形で信用懸念が顕在化するとき、僕らは自分の売る物やサービスを、自衛的に値上げする必要に迫られる。一万円札を九千円では買えないからだ。「悪い物価上昇」のメカニズムである。では手形としての紙幣にとって、「最適な」割引率は存在するだろうか?わざわざ馬鹿馬鹿しい書き方をしたわけだが、商売人なら誰でも知っていることだが、そんなもの小さければ小さいほどよいに決まっている。程度問題ではない。中央銀行の財務が大切なのは、決済が信頼できなければ、活発な需給が「よい物価上昇」を導くことなど不可能だからだ。