信頼できる預け先

が減っている。何かを生み出して、代わりに受け取る購買力を、貯めておく先の話だ。具体的にいこう。


例えば欧州各国の政府に貸すことに躊躇せざるを得ないのは、ここ最近のコンセンサスだろう。ギリシャもイタリアも、既に随分と割り引かれて、こちらが高利貸し呼ばわりされそうな勢いだ。かといって、米国や我が国の政府に貸せば安心という感じもない。それぞれ性格こそ違えど、以前から指摘され続けてきた問題を未だに抱えつつ、同時に景気対策まで求められ、にもかかわらず貸し先のない銀行が目を瞑って買うせいで、値段は妙につり上がっている。簡単に言えば、あまり債券には明るい気持ちになれない。


じゃ現金で持っとけばと言っても、こちらも不安だ。かつて欧州の希望だったユーロは、先の不安な国債群やら妙なスパイスを飲み込み、既に闇鍋の様相を呈しているし、一方で米ドルはと言えば、つくっちゃった住宅の引き換え券を懐に抱えながら、同時に世界中に貸し出しのバーゲンセールだ。我が円?スッ高い国債の山積みに加えて、埋蔵金で誤魔化した国内バランス型ポートフォリオ、消去法で買われる微妙としか言えない。


なんて不便な世の中だと思うが、嘆いていても仕方ないので代わりを探せば、じゃ将来使うガソリンやら、食べる小麦やら、身に着けるゴールドやらを事前に買っておけばどうかという、すこしばかり飛躍気味の話にならざるを得ない。のだが、残念なことに投機屋は既に飛躍の先取りを試みていて、なんだか値段がじゃんじゃん変わって落ち着かない。21世紀ってのは、誰の足も軽い時代だ。


株式ってのは、あり得るかもしれない。不景気の真っ只中だったとしても、しかし僕らが生きている限り、経済の活動がなくなるわけじゃない。その区分所有権としての株式は、余裕のない政府や怪しい現金、妙な資源の値段に振り回されるリスクを抱えながらも、相対的には安心と思えなくもない。あるいは不動産なんてのも、考えられなくもない。成長を続ける新興市場は、どこもほぼ例外なく、渋滞やら公害やらで街は不快だが、長い時間をかけて磨かれてきた基盤としての先進都市は、航空機で移動する値段が下がり、あるいは国境を超える面倒が減るほど、価値は見直されるかもしれない。


新興市場の発展に光を見出す向きもあるようだが、先の誰もの足の軽さと、先の米ドルのバーゲンセールによる後方支援に依存した構造が、軽い判断の投資を織り重ねてしまう危険には警戒せざるを得ない。ヘッジファンド?そんなもん駄目だ。全員とは言わないが、連中の大多数は特定の分野にかかる専門家に過ぎず、また、すぐに結果の出る行動だけを選ぶ。現在のこうした、考えるべきことが無限にある状況の中で、お試しと勉強以外に、大きな期待をするのは無理がある。


ああ、実に面倒な状況だ。年金すら先が見えないってのに、さらに貯めにくいんだもの。しかし、この面倒はじんわりしていて、「俺の仕事を奪うつもりか!」とか、そういうわかりやすい面倒と違って、なかなか目に見える抗議行動としては表現されにくい。なんとなく逃げる。なんとなく足を動かす。そして政府や中銀は、結果的に声の大きな連中に沿う形で、最初に戻って、わけのわからないものを飲み込み続ける。また逃げる。なんとなく足を動かす。もちろん、いつまでも続かないよ。