トヨタの背理法

「もし、トヨタ社債を発行し、その資金で国債をいくら購入したとしても格下げにはならない」と仮定する。すると、市中の国債や政府発行の新規発行国債トヨタがすべて買い取ったとしても、格下げが起きないことになる。そうなれば、政府は物価や金利の上昇を全く気にすることなく、無限に国債を発行し続けることが可能となり、財政支出をすべて国債でまかなうことができるようになる。つまり、これは無税国家の誕生である。しかし、現実にはそのような無税国家の存在はありえない。ということは背理法により、最初の仮定が間違っていたことになり、トヨタ国債を購入し続ければ、いつかは必ず格下げを招来できるはずである。


ちょっと思考実験に置換してみた。もちろん元ネタは「バーナンキ背理法」だが、こうすることで、いろんな事実が脳の中に浮き彫りになってくる。トヨタがちょっとだけ社債を発行して、「いま使いどころがない」とか言って国債を買ったところで、格付けは簡単には下がらないだろう。国債は「無リスク」だ。


とはいえこれをじゃんじゃん続けたとき、様相は異なってくるはずだ。もちろん一般に、トヨタ国債よりも高利でしか調達できないわけだが、そうでなかったとしても、わけのわからないアクションを続けていれば、トヨタは信頼を失う。もちろんこのケースでは、それよりも先に国債が信頼を失っているだろう。


問題は、「どのように」信頼を失うかだ。その度合いは、つまり格付けやスプレッドは、債券の発行金額に「比例」するとは考えにくい。また発行残高を増やすときと減らすときでは、変化の仕方も異なるだろう。要するに、発行体自身による信用リスクの制御は、一般に極めて難しい。そのことは、我々の普段の生活における「信用」と何ら変わりない。そしてもちろん、トヨタを日銀と、社債を貨幣と、格下げをインフレと読み替えたところで、やはり同じことだ。