金融政策とは何か

「わかりやすく書く練習をしよう」という初心を忘れかけていた自分を戒め、今更な話題を何度でも書いてみる。


中央銀行の行う金融政策とは、普通には金利を操作することだ。我々は、低い金利で借金ができるのなら、負担が小さいから嬉しい。とはいえ低い金利でしか預金できないのは、実入りが小さくて厳しい。高い金利で預金できるのなら、実入りが大きくて嬉しい。とはいえ高い金利でしか借金ができないのは、負担が大きいから厳しい。


借金は社会の活力だ。お金がないけどチャレンジしたいひとと、お金はあるけどチャレンジは遠慮したいひとが分業をする、モダンな社会の素敵さがここにある。で、金利は本来、借金するひとと預金するひとの綱引きで決まるわけだが、そこに中央銀行が無理矢理に介入しようとするのが金融政策である。


金利を低めに誘導しようと思ったら、その金利中央銀行がじゃんじゃん貸してしまう。借りる方としては、そりゃ低い方が嬉しいに決まってるのだから、他の誰かがそれよりも高く貸そうとしても無理だ。金利を高めに誘導しようと思えば、その金利で自分がいくらでも預金を受けてしまう。貸す方としては、そりゃ高い方が嬉しいに決まってるのだから、他の誰かがそれよりも低く借りようとしても無理だ。


とはいえ当然のことながら、この誘導には時間や市場の限界がある。皆が貸したい水準よりも低い金利で、じゃんじゃん貸してしまおうと思っても、いずれそのための原資が尽きてしまうからだ。また皆が借りたい水準よりも高い金利で、いくらでも預金を受けてしまおうと思っても、いずれそれらの運用先はなくなってしまう。


というわけで、皆が冷静で賢いとき、中央銀行は無力だ。彼らの提示する金利が低すぎると感じるなら、僕らは借りまくって、別の場所で普通に運用するだけで、鞘が抜けてしまう。つまり彼らの富*1を無料で貰うことができる。「日銀がバブルを輸出した」と言われているのは、世界中にこれを本当に実行した連中がいたからだ。その資金が「普通に運用」の範疇を超え、金融危機を引き起こすひとつの要因をつくったと指摘する者もいる。


長くなっちゃった。どこかでゼロ金利政策量的緩和、質的緩和等についても、なるべく簡潔に書いてみよう。

*1:なぜか誰も指摘しないが、元々は日本の納税者のものだ