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equilibrista2009-03-26

株式信仰の崩壊 FT大型連載 資本主義の未来 JBpress(日本ビジネスプレス)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/774


なかなか面白い記事だ。見出しを並べてみよう。

  • 株に長期投資しても、リターンは国債と変わらない
  • 問われる「効率的市場仮説」
  • 対価を得られるか得られないか分からないのがリスク
  • 「株式崇拝」信仰が生まれた1950年代が特別だった
  • 市場は根拠なく熱狂し、根拠なく悲観的になる
  • ダーウィンの進化論に基づく「適応的市場仮説」
  • 消えゆくヘッジファンド投資信託
  • 投資の世界は1950年代に逆戻り?


記事の中でも(確信なさそうに)述べられているが、株式や債券のリターンが、無リスクの短期金利を上回ることが期待されるのは、投資家がそれらのリスクを嫌うからだ。現在のようなゼロ金利を前提とすれば、例示はとても容易で、0円か200円か、五分五分で来年償還されるような権利を、いま100円で買いたい者などいない。


株式が債券をアウトパフォームすることが期待される理由も、まったく同様だ。リスクの大きな株式の方が、一般に、安くなければ買う気が起きないからである。勘のよい方なら既にピンと来られているだろうが、だとすれば投資家が株式をより好むとき、債券をアウトパフォームする理由など存在しない。


もちろん株式はその構造からして、投資対象としては債券よりもリスクが大きい。だからその分嫌われて、だからその分アウトパフォームするだろうという理屈は、まったく正しい。とはいえ、こういった枠組みを歪めてしまうほど影響力があるのが、「過去はこうだったから」という判断のみによって行動するバックミラー投資家の大きさである。単に「株が上がった」から買うのなら、その価格はリスクの大きさと嫌い方を反映しない。

株式が国債などをアウトパフォームする時期を見つけるには、もっと古くまで時代をさかのぼる長いスパンが必要だ。クレディスイスの「2009年版グローバル・インベストメント・リターン・イヤーブック」によると、1900年以降、米国株の実質リターンは年間平均6%で、米国債のリターンは同2.1%だった。一方、英国株のリターンは5.1%で、英国債の1.4%を上回っている。


こうした分析こそが、糾弾せんとする教科書的世界観の周囲に煙幕を張りたてる張本人なのだが、しかし皮肉なことに、そんなふうに騒ぎ立てれば立てるほど、構造の持つ力の大きさを誰もに感じさせることになるだろう。後ろだけを見て逃げ出している投資家は、前を見ていない。おそらく株式はいま割安で、今後高いリターンを生み出す可能性がある。


判断に必要なのは決めつけでなく、知識と情報だ。我々は既に必要な道具は揃えている。配当利回り、益利回り、純資産倍率といった基本的なツールで、株式は十分に評価できる。そうすることでリスクは効率的に分担され、世界は教科書の描くそれへと近づくだろう。え、いま?


ううむ、これ見てどう判断しますか?
http://markets.nikkei.co.jp/kokunai/japanidx.aspx


それと最近の緩和合戦は、無リスクであるはずの短期金利の将来を脅かしているという見方もある。そう、インフレーションの脅威だ。はい、明日のことなど、さっぱりわかりません。