ボツ原稿

政府紙幣の発行が議論を呼んでいる。景気対策の財源として、「札を刷ればいいではないか」という乱暴な話が、学者や議員の間で真剣に議論されているというのなら、これは憂慮すべき話だ。もちろん学者や議員の不勉強さにである。


経済を学んでいなくとも、ビジネスをしていなくとも、「打ち出の小槌は存在しない」ことくらい、誰でも理解できるはずだ。それが政府であれ日本銀行であれ、札を刷って配ったところで、数日もすればそれらは銀行に預けられ、戻ってきてしまう。これが定額給付金や一時的な減税と、一体どこが違うのか。将来の増税以外に、賄う方法があるというのか。


そもそも景気対策とは何だろうか。どんなビジネスであれ、日々顧客と接していれば、「必要とされる」ものだけが取引と利益を生むことは、強く確信されているだろう。繁栄のための施策は、このための利便性を高めるもの以外に、あり得るのだろうか。妙なバラマキや、使わない道路や建物が増えることが、顧客が求めるもの、我々が互いに求めるものをつくり出すために、一体何の役に立つというのか。


真の景気対策とは、もっと地に足のついたものであるはずだ。労働者が多くの情報を入手し、しっかりとした契約で労働に取り組めること、経営者が多くの情報を入手し、しっかりとした契約で資金を調達しチャレンジできること、投資家が多くの情報を入手し、しっかりとした契約でリスクを負担できること。


こういった当たり前の施策に、いまこそしっかりと、取り組む覚悟を見せて欲しい。金融危機のきっかけとなった米国の特殊な住宅ローンも、それを拡大させた複雑な金融取引も、問題の根は同じところにあったはずだ。判断のための情報の不足や、不安定な契約である。学者や議員は、その知恵と手腕を、バラマキやハコモノでなく、ビジネスの効率の向上のために費やして欲しい。