「量」的緩和なんて何の意味も無い

お金を借りようとしたとき、問題になるのは多くの場合は金利であって、量ではない。5%で借りられるのか、10%でないと借りられないのかが問題であって、15%でならいくらでも貸してやると言われても、それに釣り合うビジネスでなければ意味が無い。収益の意味でも、量の意味でも。


我々が借りる金利はもちろん、無リスク金利とリスクプレミアムから成る。どちらも基本的に需給で決まるものだが、中央銀行がその圧倒的な大きさで、無リスク金利を人為的に*1操作しようというのが、いわゆる金融政策だ。皆が萎縮している現在は、金利を下げることで貸し出しを増やしたいわけだが、しかしいくら下げようと思っても、この世に金庫がある以上、それはゼロ以下には成り得ない。制約に当たってしまっている状況下では、この文脈で中央銀行に出来ることはない。

10%(借りる金利) = 0%(無リスク金利) + 10%(リスクプレミアム)


信用緩和または質的緩和というのは、ならばリスクプレミアムを押し下げようじゃないかという野心的な試みである。無リスク金利はゼロだよと、でもアンタのリスクの上乗せ分は10%だって時に、そのアンタのリスクを押し下げようというのだ。


こうして書いただけで、無理っぽくね?と感じられるかもしれない。僕もそう思う。実際のところ、敵は巨大だ。なぜならすべてのリスクプレミアムは繋がっている。それは世界そのものだからだ。


OK、政府や中央銀行が一所懸命に、例えばトヨタの債券を買ったとしよう。で、その価格は上昇し、金利は下がったと。そのとき投機家は、トヨタの債券を売って、日産の債券を買おうとするだろう。そうすることで、利益が期待できそうだからだ。そうやってトヨタのリスクプレミアムを縮小させる努力は、日産のリスクプレミアムの縮小へ、そしてまた他の借金へと波及していく。


「波及していく」といえば聞こえはいいが、実はどちらかといえば、薄まっていく。日本中の、いや世界中のリスクプレミアムに波及して、もちろん債券だけでなく株式にも波及して、お金の投入効果は際限なく薄まっていく。


思い出してみよう。そもそもトヨタがどうしていま苦しいのか。サブプライムAIGのような、一見関係のなさそうなリスクプレミアムとすら、実はトヨタの業績は深く関係していた。そんなとき、トヨタを救おうと思って中央銀行が負担するリスクは、やはり同じように逆巻きに働くだろう。つまり住宅ローンやあらゆるデフォルトのリスクにすら、波及して薄まってしまう。


中央銀行が札を刷れる*2からといって、世界を買い支えることなど、そもそもできるはずがない。我々の活動に横たわるリスクそのものは変わらないのだ。コツコツと皆が貯めてきた購買力、例えば「1,500兆円の個人金融資産」から、妙ちくりんな債券や税金で吸い上げて、その分ですべてのリスクを負担する?アイスランドや英国は、それに似たやり方を実行して見かけの利益を出してきたようだが、国がまるごと不良債権を抱えていまや窒息死寸前だ。


要するに、リスクプレミアムをナメちゃいけない。それは人類のチャレンジの活動そのものであり、人類のすべてを助けられるのは、人類のすべてだけだ。政府や中央銀行には、いくらなんでも荷が重過ぎる。


あれ?量的緩和は意味が無い話のはずが、質的緩和も難しいって話になっちゃった。

*1:需給だって人為だけどさ

*2:繰り返すがそれは負債だ