異なる時点の株価を比較する



2007年にかけて株価が高まったのは、どちらかといえば、大雑把で恐縮だが、リーマン破綻のショック前には、世界中の市場参加者の大半が、いろいろ上手くいってるぞと、じゃんじゃん売れてるぞと、強気だったわけで、それを我が国が「成長重視の経済運営」をしていたからと考えるのは、相当に無理があるというか、率直に言って馬鹿げている。そもそも株価が何を表現しているかと言えば、将来に渡って生み出される利益を、それらが確実じゃない分だけ割り引いた「純資産」だが、例えばサブプライム住宅ローンが抱えていた問題が視界に入らず、未来にギラギラと明るい見通しを持っていたとすれば、今よりも株価が高いのは自然なことだし、だから長かった祭りが終わって後始末モードに入れば、株価は世界中で同時に調整することになった。


というような御託は、どちらかといえば、自分の専門を外れるわけだが、今日は細かな点にも深入りしよう。そもそも日経平均株価をこの文脈で持ち出して、異なる時点を上手に比較するためには注意が必要だ。例えば、毎年数パーセントも出されている配当が、ここでは数えられていない。昨年10,000円で買った株が、今年も同じ10,000円だったとしても、300円の配当を受け取ったなら嬉しいじゃないか。では、これを上昇分として捉えてよいかと言えば、安全な銀行預金に預けておいても50円の利息を受け取れるはずだったのなら、「真の」上昇分は250円であると捉える流儀も存在する。あるいは物価で調整したくなったり、そろそろ税金について気になってくるひとだって、少なくないはずだ。


そうして自分にとって「完璧な」比較のための指標が出来上がったとしよう。しかし5年前と今とでは、世界を取り巻く状況は全く異なっている。既にビンラディンは居ない。我々は震災から立ち直りつつある。欧州は新たなチャレンジに直面している。かつて不透明だった未来は、以前よりも5年分くらい先まで見えるようになったが、その先の不透明は相変わらずで、もちろん同時に自分自身は5歳トシを重ねた。将来に渡って見積もる利益や、それらを割り引く深さが同じだったとしても、他のすべてが違う。昔の女を比較に持ち出す男にロクな奴は居ないし、自慢気に話される「私の履歴書」よりも、いつだって俺はアンタの今後について聞きたいんだ。