リスクの「適正価格」

では、今、米国のビジネススクールに行くことの「公正な価値」はいったいいくらなのでしょう?

それは、そこで学位を取ったことで上昇する将来の給与の合計ということになります。その合計が、かかる費用(授業料や報酬に加え、働いている人が留学した場合は、その期間中に稼げたはずの給与も合わせた合計)を超えなければ、留学することの価値はマイナスになってしまいます。

ちきりんの“社会派”で行こう!:Fair valueとMarket value、どちらの価値を意識するべき? (1/2) - ITmedia ビジネスオンライン


土地であれ授業料であれ、基本的には投資なわけだが、つまり誰も知らない不確実な未来についての評価に、万人に共通する「公正な価値」など存在しない。そもそも将来の家賃収入や、起きるだろう給料の変化について見積もることは、極端に難しい。さらに厄介なことに、土地を持てば嬉しかったり、学校へ行けばパーティやデートもある。消費性だ。公正?逃げるなよ。自分自身に問う以外に、チャレンジの決断なんて有り得るはずがない。


その複雑を排除したとしても、もっと馬鹿みたいに簡単な例でも、リスクに適正価格など存在し得ないことを今日は示そう。以前にも書いた*1コイン投げだ。「表が出たら100円貰える」コイン投げゲームに、いくらなら払って参加するだろうか。


(皆さんのシンキングタイム)


かつて友人にアンケートを試みたところ、その回答は驚くほど多様だった。警戒心が強くプライドの高い連中は「正解」を探ろうとするが、「ナニナニ面白そうだ50円でいいの?」「頼まれても参加しねえよ」「うーん10円」「何回できるの?」、ちょっとしたティータイムの話題には悪くない遊びだと思った。何が言いたいかといえば、将来の地価や給料についての情報や可能性が、限りなく手元に入手できていたとしても、そこに不確実が残る限り、ひとによって評価は違って当然だ。


そして数多くの売り手と買い手によって取引される土地や教育の価格は、市場参加者の総意を表現している。それが安いと思うなら買えばいいし、高いと思うなら売ればいい。そうしたアクションが、また価格を動かすが、それだけの話で、「べき」を探そうとすると、かえっておかしな状況に陥ったりする*2ので気をつけよう。こういうのは勘だよ勘。


余談だが、僕らのCAPMは、市場と相関しないリスクの価格はゼロだと予言する。つまり先のコイン投げゲームは50円になるだろうと。一見おかしな話にも思えるが、よく考えてみるとちっとも不思議じゃないのは、30円しか受け取れないのなら、そんなゲームを催す人間などいない。リスクプレミアムは、見返りを払ってでもチャレンジしようという志がつくり出す構造だ。最高だと思わないか。

*1:http://d.hatena.ne.jp/equilibrista/20090808/p1

*2:そういうオトナを、よく見かけないか