マネタリーベース狂騒曲

日銀の次期総裁候補に挙げられる複数の先生方が、いわゆる量的緩和を主張されている。マネタリーベースを、日銀のバランスシートのサイズを拡大しろという、教科書にすら書かれている実に虚しい政策だが、当ブログでは馬鹿にしている。バーカ。もちろん「量」そのものには意味がないという指摘は、それが主流とは言えなかった時代も含めて、大昔から脈々と生き続けているわけだが、今日ほどその説得力が高まっているタイミングはない。少なくとも僕は、そう感じている。その概要について、できるだけ簡潔に表現することに挑戦したい。


さて、いきなり日銀のバランスシートからスタートしよう。歴史的には千年ほど先に生まれたコモディティ貨幣は、信用の現代には、あとから考えた方が余程スッキリする。日銀は、金融機関と紙幣利用者から借り、政府に貸している。


政府へ
貸し
金融機関から
借り
紙幣利用者から
借り


なぜ紙幣利用者が日銀に貸すのかといえば、買い物には紙幣が必要で、どうしても持たざるを得ないからだ。銀行振込やクレジットカードといった、紙幣を使わない決済も増えているものの、歴史的経緯もあり匿名の便利もあり、まだまだ紙幣は元気である。なぜ金融機関が日銀に貸すのかといえば、基本的には利息が付くからだ。ルールで要求される税金のような貸しも一部存在するものの、株主のために有利で安全な融資先を探すのが連中の仕事のひとつである。


さて、いわゆる量的緩和は実際には、日銀が金融機関からの借りを増やすアクションだ。もう一方の貸し手である紙幣利用者からの借りを増やすことが難しいのは、我々が手元に持ちたい紙幣の量は、あまり変化しない。手元に多額の現金があれば、強盗が不安なのでATMから預け入れてしまう、つまり日銀から見れば返済が要求されてしまう。なので日銀は、金融機関に貸してくれませんかと「お願い」して、借りを増やす。そして同じ分だけ政府に貸す。終わり。これでなぜ物価が上がると思うのか、偉い先生方にアクセスのある皆さんは、伺ってみるとよい。「そういうふうに思えた記録がある」みたいな、笑っちゃうような回答が返ってくる。


大昔には、あるいは最近でも発展途上な社会の一部では、「そういうふうに思えた」事情も確かに存在した。ジンバブエのそれが有名だが、ヘリコプターで紙幣を撒くという話にも似ている。単に紙幣利用者から借りるだけで、政府に貸さず、あるいは別の形で資産として保っておくこともせず、その分だけ債務超過になってしまうような場合だ。


政府へ
貸し
金融機関から
借り
紙幣利用者から
借り
不足分


このとき貸し手は、どんなアクションをとるだろうか。シンプルな話だが、債務超過の奴には貸したくないので、金融機関は日銀に返済を迫る。代わりに政府に貸したり、あるいは別の形で資産として保っておこうとするわけだ。また紙幣は、返してくれなそうなリスクのある借用証になってしまった。物やサービスと交換しようとしても、割り引かれてしまう。その分だけ、多く要求されてしまう。手形の割引や、債券価格の下落や、不良債権処理と一緒だ。


このように、紙幣利用者からの借りが膨らむほど物価が上昇する場合は、確かに存在する。した。是非とも避けたい状況である。もちろん日銀であれFRBであれ、ECBであれBOEであれ、モダンな中央銀行は、借りだけが増えて、貸しが増えないような取引は行わない。絶対にだ。マネタリーベースがマターだと考えているニャンコ先生達は、自覚の有無にかかわらず、この非常に基本的な一点について誤解している。


蛇足だが、そう思うと貸しと借りの状況について、信頼できる報告をタイムリーに行ってくれれば、紙幣の発行を日銀に独占させておく必要など全くないとも思うのだが、その話は長くなるので、またいずれ。