しばらく先の話

それが大きなものか、あるいは継続的なものか、いずれにせよ金融市場に来たるべき調整が入った、その後の話を、ちらほら目にするように*1なってきた。中央銀行が誘導する金利は、どうしてもゼロに貼り付かざるを得ないだろうとか、リスク資産の購入のような非伝統的なプログラムが再び必要になるだろうとか、要するに、そらそうだろ的な、知ってるよ的な議論である。


もちろん当ブログでは、更にその先を見つめたいわけだが、短く終わる話だが、そうした無理な刺激策と、山師の活躍、その後に続かざるを得ないクラッシュは、結局のところ単に繰り返しで、繰り返すほどロクことにならないと皆に自覚されるまで、続かざるを得ないのだろう。他方で、中央銀行を含む政府部門の財務は、そうしたプロセスの中で、もちろん徐々に削られていくことになる。


最近では狼少年のような扱いになっている高インフレーションは、いずれ必然的に訪れざるを得ない。日本に関して言えば、まだ大分先の話になるだろうが、言い換えれば諸外国の中に先輩が現れることは予見されるし、そうした際には当該通貨に対して、もちろん円は強いだろう。その強さの中には、つまり刺激策の余地が残されていて、また次の繰り返しへと進む。尽き果てるまで。


さて、そうして世界中が茹でられることに対する自衛の策はシンプルで、まずはカネを借りる側に回ることだ。これは意外に簡単でないのは、特に庶民には、銀行はデカい金額は貸してくれない。どうしても例えば(投資用の)不動産を買うこととセットになってしまう。そう、自衛の策さえ、この狂ったサイクルの片棒を担ぐわけだ。不思議に思われるだろうか。花見酒が強制されるとき*2には、だって飲んだもの勝ちさ。