アントンのやさしい線型代数

書店で、つい初学者向けの教科書に手を伸ばしてしまうのは、お客さんの前に立って声を出して説明しながらも、あれ、これホントかなとか、あるいは別の表現もある気がしてきたぞとか、知っているつもりのトピックにも発見は常に山盛りで、気の利いた道筋や地図のような目線は、いつだってそれ自身が喜びである。そして久々に、実に素晴らしい本に出会えば、どうしたって紹介したくなってしまう。


アントンのやさしい線型代数

アントンのやさしい線型代数


初版は1979年、実に36年前にも遡るが、内容が古いのではなどと心配する必要がゼロなのは、この数学の土台はそんなにヤワじゃない。むしろ時の洗礼を浴び、オリジナル*1は既に11版となって未だ現役の古典は、ベテラン選手のスマートな活躍を思わせるように、意志と技術が絶妙にバランスしている。もちろん、その間に計算機は大きく進歩し、また我々の手元で、その寸法は実に小さくなった。今この文章すら、そうしたマシンとネットワークの上で書き、また読まれているわけだが、この現代社会の基盤として線型代数は、益々重要な役割を担う一方である。


といった状況を見越していたかのように、この本の最大の特徴は、驚くべきことに、いきなり行列の基本変形から始まり、そして応用と数値計算で終わる。慧眼である。行列式からベクトル、線型空間固有値問題へと、常に懇切丁寧に進むが、ジョルダン標準形には触れない。時にポーンとアドバンストな課題が投げられ、また証明は読者の稽古にと手渡され、世界を記述する言葉をよく知るアントン先生が、まるでニヤニヤとこちらを覗いているかのようだ。実例は次々と登場し、現実と繋ぎたくなる欲求を刺激されながらも、同時にモダンな数学の紡ぎ方をチラつかせ、更なる探検の背中を押されてしまう。ちょっと元気のよい高校生なら十分に読めるはずで、お父さんお母さんだって覚悟を決めて、一緒に頑張ってみるのも最高だと思う。時間をかけるほど、そして読み返すたびに発見があるのは、むしろ当然のことだ。本チャンの方々には、本チャンの解説*2をどうぞ。


蛇足だが、ジャンルを問わず英語で書かれた教科書の値段はスッ高くて、日本語訳の方が手軽という不思議な状況は続いている。ならば迷わず、とっとと買おうぜ。そして、もちろん格好つけたソフトウェアなんか揃えなくても、世界のあちこちを数字で、リニアに写し取ってみることは十分に可能さ。まずは目の前にあるエクセルで、MMULT関数*3と春から遊ぼう。